自分が自分に『YES』を言う
何の流れかはわからないけど、確実に流れがきている気がする。
気がするということは、きているのだ。
というか、流れ自体はずっと存在していて、自分が勝手にその流れから自分自身を切り離した気になっていた、というのが正確な表現かもしれない。
きっと、なんでもいいんだ。
あることを【決める】ことで【決まる】ことがある。それが大切なんだ。
大きなことを決められないなら、小さなことを決めたらいい。
物事に大きい小さいはあるかもしれないけど、【決める】という行為自体には、大きいとか小さいとか、比較するものは存在しないんだから。
【決める】という行為は、自分に『YES』を言う行為なんだ、とさっき気付いた。
わたしはずっと【決める】が苦手で、できるならずっと【決めずに】いたいという気持ちが強かった。もしくは、誰かに【決めて欲し】かった。
自分では自分に『いいよ』と言ってあげられないから、誰かわたしに『いいよ』って言って。そう言ってくれたら、そう思ってもいい気がする。そう言ってくれたら、それをしてもいいんだと思える。
そうすることで、間違えてないか確認できる。ルールから外れてないか、誰かが嫌な思いをしないか。わたしにはそれはわからないから、誰かわたしの代わりに責任取って。
わたしの代わりに『いいよ』って言って、ということは、極端な話、そういうことだと思う。
でも、自分の思いを丁寧に見ていったら、違った。
本当は、わたしがわたしに『YES』って言いたかっただけだった。
わたしがわたしに『YES』をいう許可を、他人に求めていただけだった。
その許可、いる?
・・・ううん、いらない。
こんまりさんのときめきの本を読んで、めちゃくちゃ感化されて始めた片付け。
でも、途中から路頭に迷ったみたいになって、いつの間にかうやむやになってしまった。しかも何度も。
普段の生活の中では、「ときめき」を感じることができるようになっていても、部屋の片付けを始めたらその「ときめきセンサー」は効力を失ってしまった。だから、物を移動するだけの、“片付け風”の行為を繰り返していた。
でも、今度こそ、片付けができる気がしている。
わたしの中での「ときめき」は、イコール「YES」であり、その「YES」はイコール『わたし』自身のことなんだとわかったから。
目の前のものを、ひとつひとつ「これは(今の)わたしであるか」を問いかけながら、仕分けていけばいいんだと思う。
片付けは、時間をかければ必ず終わる、というのは救いだなと思う^^;
ただ、腰がめちゃくちゃ重いので、1日のノルマを決めて、確実に進めていこうと思います。
どんなに時間がかかっても、どんなに回り道しても、そんな自分にも『YES』をあげて、楽しみながらやってみようと思う。
そして、この部屋に最終的に「何が残るのか」がめちゃくちゃ楽しみだし☆
・・・よかった、楽しみがあって(笑)
モノの手放し方を調べないとな。
おしまい。
・・・あ!
最後に、今の気持ちにぴったりなこの曼荼羅を貼っておきます!
タイトルは、『手放す』。
ほんとにおしまい!
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